こんな季節だし本当にあった怖い話を一つ

これは私、武藤晃典が実際に体験した怪談話である。



風呂から上がりベッドの上でYouTubeを観ながらゲームをしていた。8月もまだ半ば、茹だるような暑さが体を襲い、たまらずクーラーのリモコンに手を伸ばした。時刻は0時を回り仕事で多忙な家族はもう眠りについた。暫くゲームをするうちに意識が朦朧とし、部屋の明かりを消そうとした。その時、腹部に痛みが走った。「この時間にかー…」と軽くため息をつきトイレに向かった。


用を足し、いざトイレから出ようとしたその時、その時だった。視界の端で何かが動いている。最初は自分の影かと思った。しかし、自分は一切動いていない。恐る恐るその動いている"モノ"に目を配らせた。それが何かと理解するまでに時間は要さなかった。そう、あの「光沢を放った黒い昆虫」だ。秋田は涼しくてそこまで目撃しないために完全に油断していた。8月の蒸し暑い気候、そして深夜、この時間はまさに奴等の"ゴールデンタイム"なのである。


思わず僕は硬直していた。何せ18年間都会で育ったこの身、虫は大の苦手である。しかもこの状況。ゴキブリへの恐怖心とトイレの現場を見られた屈辱感で頭は真っ白、感情がぐちゃぐちゃになった。額からは脂汗がじっとりと湧いた。


勿論この時間だし家族を起こすわけにもいかない、騒げば近所迷惑にもなる。近くにゴキジェットの類もない。孤軍奮闘、なんなら詰んでる。その時の自分は蛇に睨まれたカエルそのものであった。



それから何分経っただろうか。依然として膠着状態が続いていたが、それは急に破られた。"奴"が動き出したのである。しかも、こっちの方に。体は震え、本能的に死を覚悟した。頭を駆ける走馬灯。お父さんお母さん、今まで仲良くしてくれた友達皆ありがとう、そう心で遺言を述べ、体を楽にした。………てあれ?生きてる?恐る恐る下を覗くと"奴"もまたこっちを見ていた。


それはまるで何かを訴えかけているようだった。もしかしてゴキブリに姿を変えた友人だったりするのか?試しに何人か友達の名前で呼んでみたが反応はない。何なんだ、分からない、分からなすぎる。お前だって人間のトイレに居合わせるの気まずいだろ。なぜ留まる。気づけば感情は恐怖から懐疑に変わっていた。


"こいつ"の真意は何なんだ、そうずっと思索していると、出し抜けに"奴"は扉の下の隙間から出て行った。ひとまず命に別状が無いことに安堵しつつ考えた。何故あいつは俺のことを見つめていたのか?暗くて長いトンネルにいるように答えが見つからない。それでも必死に思考を走らせた。その結果一筋の光がちらついた。




"奴"、いやあの"ゴキブリ"は「現代社会へのアンチテーゼ」だったのではないか。


調べてみるとゴキブリは約2億年前から生息し、人間の祖先は約1億年前に誕生している。我々の方がずっと新しい種だ。それなのにどうだろう。今や人間が地球を牛耳り、自然を壊して家を建てる。その中のエアコンの効いた部屋で貪るようにゲームをして毎日を溶かしている。そんな我々がなぜゴキブリを忌避しているのか。私は先程トイレの中で現実逃避の如くスマホを見ていた。あのゴキブリはそんな電子の中に住まう我々を蔑視していたのではないのだろうか。自分は何と愚かだったのだろうか。


時刻はもう1時を回った。人間の営為の愚かさ、それを気づかせてくれたゴキブリの偉大さに圧倒され、トイレを流した。そして、ゴキジェットを求め闇の中に体を溶かした。それはそれ、虫は嫌い。